聖なる ズー。 【第17回開高健ノンフィクション賞】浜野ちひろさん『聖なるズー』が受賞

獣姦とは違う 動物性愛の実態 『聖なるズー』

聖なる ズー

この作品を世間がどのように受容するのか、楽しみである。 社会規範や常識によってノーマルとアブノーマルで切り分けられたとき、彼らは異常のほうに属すとされるのです。 ただ著者も中盤で書いているように、取材対象者のほとんどは受け入れる側。 たとえば動物とのセックスにあたって受動的な立場にある人々(パッシブ・パート)は動物に「誘われた」と語り、動物の「性欲のケア」をしている、重要なのは快楽よりも関係性なんだと語っている。 そうであったらいいなと思います」(興野優平)=朝日新聞2019年11月27日掲載. 彼は、普通じゃない自分に悩み、セックスワーカーに相談し、人間の女性と結婚したそうだ。 日本ではまだ動物性愛という言葉は浸透していませんし、ズーというありかたも知られていませんが、身近な動物との関係を考えるときに、ひとつの問題提起となればいいなと思っています。

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聖なるズー (集英社学芸単行本)

聖なる ズー

私は十九歳からの十年間、当時のパートナーから、ドメスティック・バイオレンスと性暴力を受けていました。 そもそも動物性愛とは、動物を愛し、時には性行為をすることもある人々のことだ。 けれど、そこに本当の意味での意志の疎通はあるのか。 また、セックスはせずにマスターベーションをサポートして、動物の性をケアする人々もいます。 犬たちが「子ども」であるからこそ、人々は無意識に「ズーフィリア」と「ペドフィリア」を重ね合わせてしまうのだろう。 動物性愛の真実を知ろうとすること。

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【第17回開高健ノンフィクション賞】浜野ちひろさん『聖なるズー』が受賞

聖なる ズー

ズーゲイの人もいればズーレズの人もいる。 ましてや、ズーを獣姦と混同することや幼児性愛(ペドフィリア)と同一視することなど、とんでもない誤りであることが本書を読めばわかる。 人間同士だから無条件に対等ではない。 一方、ズーたちの犬に対するまなざしは、一般的な「犬の子ども視」のちょうど逆だ。 犬のマスターベーションを手伝うズーもいる。

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『聖なるズー』(集英社)

聖なる ズー

人間以外の動物と対等である、ということは可能なのか。 この作品を世間がどのように受容するのか、楽しみである。 誰かを理解するとは何か、理解されるとは何か。 そもそも大学院でセクシュアリティ研究に携わろうと思ったのも、それが最大の理由です。 この本を読んでの変化。 うちにも長い間白い小さな犬がいたから。

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『聖なるズー』(集英社)

聖なる ズー

本書には欠かせない告白だ。 2018年、京都大学大学院修士課程修了。 なぜドメスティック・バイオレンスや性暴力に取り組まなかったのか。 誰もが知っている妻が鶴だったり、夫が犬だったり。 動物に暴力を振るわず、また、動物の性を無視せずに、それを当たり前のこととして受け止めつつ、性を含めてケアをする。

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聖なるズー: 甲斐毅彦記者の「多事放論」

聖なる ズー

【選考委員、驚愕!】 ・「秘境」ともいうべき動物との性愛を通じて、暴力なきコミュニケーションの可能性を追い求めようとする著者の真摯な熱情には脱帽せざるをえなかった。 特に小型犬であれば、子どものように服を着せ、抱っこして散歩する光景も見られる。 受賞作の梗概など詳細は、 をご覧ください。 わたしの場合は、ドイツという、日本ではよく知られた国で、なおかつ憧れを持って旅行にいくこともあるような場所がフィールドでした。 中国・四国• 言葉は、身体からも精神からも離れたところにあるものだ。

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『聖なるズー』(集英社)

聖なる ズー

今、人間は、食や癒しの目的で動物の生き方を定める。 ズーたちは、共に暮らす犬や馬をパートナーとして、時に性行為にも及ぶ。 私の場合は「多様性」という言葉は知っているつもりでも、真の意味で理解していたのか、という問いを突き付けられたような気持ちです。 私は人間以外の動物とのセックスが自然な行為でないから否定する、という考え方はしない。 「ズーの話はセックスの話だと、みんな考える。

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聖なるズーの通販/濱野 ちひろ

聖なる ズー

いやむしろ、私がそうだったように、本書が提示する「新しい世界」はあまりにも刺激的で、最初は頭の中に大きな混乱さえ生み出すかもしれない。 自ら動物としようとする人もそれなりにいるらしい。 これからもきっちり取り組んでいきたいです。 しかし動物と愛し合い、パートナーとなって時にセックスもする、となると理解の範疇を超えていた。 大男と二人(と一匹?)の密室である。 日々応答を繰り返すなかで出てくるお互いのパーソナリティーを見出し続ける行為こそが、愛に代わる一つの実践なんだと私は思っています」 それは種を超えてあるものだし、振り返って私たち人間同士にもある。

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